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子どもを守る沈黙か、それとも問えぬ空気か

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社会
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先日、広陵高校の保護者会で起きた一幕が、我が家の夜のニュースタイムで話題になりました。

出席した保護者が誰一人として、何も質問しなかった。

会場は静まり返り、校長先生の説明をただ聞くだけ。

おかーちゃんは

「え、誰も何も聞かんの?」

と、お茶を飲む手を止めてぽつり。

長女ちゃんはプリキュアの録画を観ていたので、事態の深刻さには気づいていませんでしたが、おとーちゃんの胸には、妙なひっかかりが残りました。




 

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名前を名乗らねばならぬ場

一部の報道では、こんな話も囁かれています。

質問をするには、子どもの名前と部活でのポジションを名乗らなければいけなかった

もしそれが事実なら、たとえ言いたいことがあっても、我が子の将来を思えば口を閉ざしたくなる気持ち、痛いほどわかります。

「〇〇の父です、ポジションはセンターです」

と言った瞬間に、子どもが何か不利益を受けるかもしれない

そんな想像が、親の背中をそっと押して、沈黙へと導いたのかもしれません。




 

守るための沈黙、それとも見て見ぬふり?

保護者たちは本当に、我が子を守るために口を閉じたのでしょうか。

それとも、発言したところで何も変わらないと、はじめから諦めていたのでしょうか。

おとーちゃんは、どちらも否定はできません。

ただ、もし沈黙が「波風立てないように」というだけのものであれば、それは時に、子どもたちを見捨てることにもなりかねません。

「黙っていたら、全部認めたことになるんじゃないの?」

おかーちゃんの言葉に、おとーちゃんは黙ってうなずくしかありませんでした。




 

子どもたちを人質にしない社会へ

学校や組織が、「質問するな、口出しするな」という空気をつくってしまえば、大人でさえ声を上げづらくなります。

ましてや、子どもたちはどうでしょう。

大人が沈黙を選ぶ姿を見て、 「問題があっても、我慢するしかないんだ」と覚えてしまったら、それはとても悲しいことです。

子どもを守るために声を上げる。

子どもを守るために質問する。

その当たり前が当たり前であるように、大人がまず勇気を持たねばと、おとーちゃんは思うのです。




 

今、問いかけることの大切さ

おとーちゃんは、何か問題が起きたとき、すぐに答えが出るとは思っていません。

けれど、問いかけること、疑問を口にすること、その一歩がすべての始まりだと信じています。

あの保護者会で、本当に誰も疑問を持たなかったのか。

もし、心の中にたくさんの「なぜ?」を抱えながら、口を閉じたのだとしたら、その「なぜ?」の種は、今こそ社会全体で育てていかなくてはならないと、心から願うのです。




 

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