今年もまた、大谷翔平選手が輝いています。
そのニュースを見るたびに、おとーちゃんは心の底から感動するのです。
あの笑顔、あのパワー、あの爽やかさ。
まるでスポーツマンシップのかたまりのような存在。
でも、ある日ふとテレビでホームランの映像を見ていて、不思議な気持ちになりました。
「あれ?同じ打球でも、場所が違えばホームランじゃないんじゃない?」
野球の不思議、スタジアムごとに違うホームランの基準
野球というスポーツ、あたりまえのように見ているけれど、よく考えるとちょっと不思議なルールがあるんですよね。
特に、スタジアムによってフィールドの広さが違うこと。
例えば、メジャーリーグだとフェンウェイ・パークは左翼がすごく近いけど、右中間はめちゃくちゃ深い。
日本の球場も、東京ドームと甲子園では外野の距離が全然違います。
つまり、同じ打球でも、球場によってホームランになるかどうかが変わるんです。
「え、それってスポーツとしてどうなの?」
と、我が家でおかーちゃんに聞いてみたら、
「そんなの前からそうだし、ファンはそこも含めて楽しんでるんじゃない?」
と言われてしまいました。
なるほど、文化や伝統の違いかもしれません。
でも、やっぱりおとーちゃんはモヤモヤしてしまいます。
平等であること、それがスポーツの基本じゃないの?
次女ちゃんがソファの上でキャッキャと笑いながらバンザイしているのを見て、ふと思ったのです。
「スポーツって、みんなが同じ条件で戦うから面白いんじゃないか?」
と。
100メートル走なら、スタートラインもゴールも同じ。
サッカーならピッチの広さも、ゴールの大きさも基本は統一されています。
それなのに、野球はスタジアムごとに結果が変わるかもしれない。
オリンピックの競技に選ばれにくい理由の一つも、そこにあるのかもしれません。
「公平さ」がスポーツの基本であるなら、野球のスタイルはちょっと異質なのかもしれませんね。
個性を楽しむか、平等を重んじるか
おかーちゃんが
「大谷翔平、すごいよね〜!」
とテレビを見ながら呟く。
そんな声を聞きながら、おとーちゃんは思いました。
「確かにすごい。でもスタジアムごとの違いを、醍醐味として感じてるのか?」
と。
グリーンモンスターのある球場、風が強い浜風の球場。
そこでプレーする選手たちも、その環境に合わせて戦術やスキルを磨いているわけで。
それもまた一つの醍醐味なのか。
でも、世界の舞台で公平な勝負をしようと思ったら、やっぱり統一された基準も必要です。
個性と平等。
野球においては個性の方が重要視される印象。
そのバランスは、スポーツにおいていつも大きなテーマですね。
子どもたちに見せたいスポーツの未来
次女ちゃんがポトンと積み木を落として、にっこりと笑いました。
その仕草に、「失敗しても楽しいね」というメッセージを感じた気がします。
野球も、どんな形であれ楽しむ気持ちが大事。
でも、その上で「誰もが納得できる公平さ」を求めることも大切です。
これからの時代、スポーツはますます多様になっていきます。
でも、どの競技でも、子どもたちが安心して応援できるような、そんなルールであってほしいなと思います。
野球もいつか、真の意味で誰もが胸を張って「フェアな勝負だった」と言えるような、そんな未来のスポーツになることを夢見て。
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